薬物乱用問題は、人間の生命だけでなく、社会や国の安全・安定にも関わる深刻な社会問題の一つである。国内の薬物乱用防止活動から生まれた「ダメ。ゼッタイ。」という標語は、30年以上にわたり薬物乱用の防止を呼び掛けてきた。一方で、薬物を禁止し、遠ざけることだけで問題は解決するのか。人類と酒やたばこ、薬物の歴史を振り返ると、政策の実効性を考える上で、禁止だけでは捉えきれない課題が見えてくる。
今回のインタビューでは、国立精神・神経研究センターの松本俊彦氏の著書『身近な薬物のはなし』を手がかりに、「ダメ。ゼッタイ。」という防止策が果たしてきた役割と限界、薬物を使ってしまった人を支えるための「ハームリダクション」の考え方を掘り下げ、現実社会で機能する薬物政策のあり方を考える。
1時間以上にわたるインタビューのエッセンスを2回に分けてお送りする。
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長 松本 俊彦
精神医学の専門家。佐賀医科大学卒業後、横浜市立大学医学部附属病院精神科、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所司法精神医学研究部、同研究所自殺予防総合対策センターなどを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長を務める。第7回日本アルコール・アディクション医学会柳田知司賞受賞。依存症に関する著書を多数刊行している薬物依存研究の第一人者。
『身近な薬物のはなし』から読み解く、現代の薬物政策の課題
一般社団法人グローバル政策研究機構 代表理事 黒田岳士 (以下 黒田)
昨年は、当機構が企画した健康づくり政策の実効性・実践性向上に向けた提言のとりまとめにご協力いただき、ありがとうございました。その際、薬物等による依存症への対応のあり方についても触れたものの、その議論の前提となる人類と薬物の歴史的背景には十分な紙幅を割くことができませんでした。
先生のご著書『身近な薬物のはなし』を拝読すると、酒やたばこを含む薬物は、単に健康を害する物質としてではなく、人類の進化、文化、コミュニティ、国家の政策と深く結びついてきたことが分かります。その歴史をたどることは、これまでどのような政策が試され、なぜうまくいかなかったのか、そして今後どのような政策が現実に機能し得るのかを考える上で重要だと思います。今回は、ご著書を手がかりに、人類と薬物、そして政策の歴史についてお話しいただければと思います。
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 松本俊彦先生 (以下 松本)
私は薬物依存症を専門とする精神科医なので、日々さまざまな患者さんに接しています。一般の方からすると、覚醒剤依存症の人は「怖い」「危ない」というイメージを持っているかもしれません。しかし、実際はそんなことはありません。良い人が多く、治療もそれほど難しくないと思っています。ただ、刑事罰によって社会の中で居場所を一度失ってしまうとまた薬に頼ってしまう状況に追い込まれてしまう人が多いのが現状です。
一方で、アルコールや処方薬、市販薬など、逮捕されない薬物の依存症の方は非常に重症化しやすいのが現状です。違法薬物の人は体が壊れる前に逮捕されて受診につながりますが、合法薬物はボロボロになってから医療につながることが多いからです。そうした患者さんを診ていると、「なぜ人は薬物が好きなのだろうか」という、そもそもの問いに行き着きます。
患者さんには「薬をやめようね」「お酒をやめようね」と言いながら、私自身もお酒を飲み、たばこを吸います。人のことを言える立場にないな…と思うようになってから薬物の歴史を調べるようになりました。すると、人間は薬物が好きで、薬物を使いこなす生き物なんだということが見えてきました。
黒田) 冒頭からなかなか興味深い話です。そもそも薬物を使用するのは人間だけなのでしょうか?
松本) 動物の中にも薬物を利用している話はあります。例えば、ゾウやキリンは腐って発酵した果実を食べ、酔ったような状態になる話はありますし、猿の場合は自ら木や岩の穴に果実を詰め、発酵させたものを作ります。これは「猿酒」と呼ばれています。
また、ある種の動物は、体内に寄生虫が増えると特定の草を大量に食べて意図的に下痢を起こし、寄生虫を排出します。けがをした時には、傷口に薬効のある植物を擦りつける動物も知られています。
このように動物も発酵した果実で酔ったり、薬効のある植物で傷や寄生虫を治したりと、原始的な形で“薬物”を利用しているのです。しかし、そこから有効成分を抽出・精製し、人工的に薬を作り出すようになったのは人間だけ。ペニシリンがカビから、アセチルサリチル酸がヤナギの樹皮から発見されたように、人類は自然物から薬を発展させてきました。
人類は酒の効用と害とどう付き合ってきたのか-アルコールと文明の知られざる歴史
黒田) ということは、人類と最も長い歴史を持つ“薬物”はお酒ということでしょうか?
松本) そうです。人類にとってアルコールは毒でしかありませんでしたが、進化する過程で、アルコールを分解する能力を獲得したと言われています。また、人が集団で生活をするようになると、感染症の問題が起こりますが、その時に安全な水分補給源としてお酒が重宝されるようになります。
「麦から最初に作られたのはパンなのか、それともビールなのか」という論争もありましたが、現在ではビールの方が先だったのではないかと言われています。古代バビロニアでは大きな壺のビールを皆で飲む文化があり、こうした共同飲酒は人々の結束を強め、コミュニティ形成に大きく寄与したと考えられています。
黒田) 乾杯の儀式も、その名残だという説も紹介されていましたが、とても印象的でした。現代にも「飲みニケーション」という言葉がありますが、まさにお酒の存在は人類の進化にも大きく関わりを持ち、コミュニケーション形成の一端を担っていたということですね。一方で昔の人はお酒がもたらす害と、どんな風に向き合っていたのでしょうか?
松本) お酒には人々の小さな違いを和らげ、共通の目的のもとで結びつける力があり、人類にとって有益な存在だったと言えます。一方で害も早くから認識されていたため、古代の社会では飲み方にさまざまな工夫が凝らされていました。例えば、ギリシャやローマではワインを三倍に薄めて飲む習慣があり、薄めない人は「野蛮人」とされていました。スパルタでは逆に薄めないことを美学とし、節度ある飲酒が重んじられていました。古代中国でも禁酒令が繰り返し出され、三国志で有名な劉備玄徳も禁酒令を発布しています。さらに漢の時代には「三人以上で酒を飲んではいけない」という決まりがあり、酒の場は反乱の温床になると警戒されていました。つまり、古代の為政者はお酒の効用と害を理解し、自分たちの立場が脅かされることも理解していました。
お酒を巡る「禁止」政策の限界
黒田) 歴史を振り返ると、人類はさまざまな工夫を繰り返しながら長い年月をかけてお酒と付き合ってきました。この“付き合い方”が重要だと感じますが、先生はどのように思われますか?
松本) 古代から人々はお酒の害を理解し、工夫を試みてきたものの、禁止や規制を行っても結局、うまくいった試しがありませんでした。
蒸留技術はアラビアで発見され、それがヨーロッパへ広まり、中世の教会を中心に発展していきました。産業革命期のイギリスでは、ジンを子どもや妊婦までが飲む深刻な社会問題が生じました。イギリス政府は販売禁止などさまざまな策を試みましたが効果はなく、最終的には課税という形で落ち着きました。
お酒は依存性が強いだけでなく、人間のライフスタイルやコミュニティ形成とも深く結びついていたため、特に穀物が豊かなユーラシア大陸では文化として大きく発展し、禁止が極めて難しい存在となったように感じています。
黒田) 禁酒政策は失敗の歴史だと思いますが、成功した例などあるのですか?
松本) ロシア帝国では、ニコライ二世による禁酒令が国民の反発を招き、政権崩壊の一因になったとされています。旧ソ連でのゴルバチョフによる反アルコール政策も、自殺減少など一定の成果はあったものの、密造酒の横行や地下経済の拡大を招き、経済破綻の一因となったと言います。つまり飲酒の禁止は、時に政権を転覆させてしまうほど強い反作用を生むことがあるのです。
一方で、飲酒が禁止されているイスラム圏では成功していると言ってもいいと思います。その理由は明確ではありませんが、宗教という強い規範があったからこそ可能だったのかもしれません。
黒田) 宗教の力を借りないと無理だということでしょうか。政策として禁止したとしても、実際に人がやめるとは限らない、ということですね。
松本) そうですね。実はイスラム圏では、お酒を禁止した代わりに、大麻やコーヒーが広まり、文化として定着しました。コーヒーは当初迫害されたものの、人々の需要が高く、イスタンブールでは瞬く間にカフェ文化が形成されました。ヨーロッパでは当初、あの独特の香りは嫌われましたが、ローマ教皇がその価値を認めたことで一気に普及した歴史があります。
医学的に正しいことだけでは政策は決まらない
黒田) 酒やコーヒーの歴史を見ると、人々の生活や文化に深く根付いたものを、後から規制することの難しさが見えてきます。同じように依存性があり、世界中にあっという間に広く普及したたばこについても、同じことが言えるのでしょうか。
松本) たばこは依存性と嗜好性の高さと、税収という意味で国家にとって非常に重要な存在になり、世界中へ急速に広まりました。普及したのちに規制を試みる国が続出しましたが、失敗に終わり、最終的には課税という策で落ち着きました。こうした歴史から嗜好品は文化・宗教・経済と深く結びつくと、制御することが難しい存在だということがわかります。
黒田) 世界中で戦争が横行していた時代には、皮肉にも国家財政にとって「たばこ税」が非常に安定した財源になっていた側面もありますね。
松本) そうですね。戦争を繰り返したヨーロッパでは、軍事費のために国民にたばこを吸ってもらう必要がありました。同時に、たばこは過酷な戦場で「頑張るため」「辛いことに耐えるため」の手段にもなっていました。
たばこを吸う人は「快楽に溺れている」「意志が弱い」と言われますが、ニコチン依存症の人からすると、そうではありません。タバコには辛い環境に耐えるために使われてきた側面もあるのです。
もちろん、たばこの害を指摘する医学者はいましたが、第二次世界大戦が終わるまでは国家権力によって抑えられていました。戦後、健康問題に関するエビデンスが蓄積し、軍事財源としての必要性も薄れたことで、世界的に排除の流れが始まりました。
黒田) そう考えると、医学的に害があるということだけでは政策を決められるわけではない。財政や経済、社会状況など、さまざまな要素の中で政策が形成されてきたということですね。
「ダメ。ゼッタイ。」の先へ、現実に機能する薬物政策
黒田) ここまでの歴史を見ると、「害があるから禁止する」という政策目的自体は理解できても、それだけで人の行動を変えることは難しいことが分かります。
昨年の報告書では「ダメ。ゼッタイ。」を象徴とする薬物の乱用防止啓発において、一部の啓発資料の啓発資料が、薬物使用者を過剰に恥辱的に表現することで、かえって再乱用防止の妨げになっている旨を指摘しました。
松本) 私は「ダメ。ゼッタイ。」を全部否定しているわけではありません。初めて使わせないという意味では、一定の役割はあると思います。
ただ、それだけでは駄目です。実際に使ってしまった人たちをどう支えるのか。そこがなければ、薬物政策としては不十分です。
過度な予防啓発が、薬物依存症の当事者に対する偏見や差別意識を生み出してしまっている面もあると思います。実際、薬物依存症の当事者が運営するリハビリ施設に対して、地域住民の反対運動が起きることもあります。
依存症になった人を「悪い人」「意志が弱い人」と見てしまうと、その人たちは医療にも相談にもつながれません。結果として、どんどん孤立してしまいます。
黒田) 「使わせない」という政策も必要だけれど、それだけでは、すでに使ってしまった人への政策が抜け落ちてしまうということですね。昨年の提言では「薬物の使用によるダメージの低減(ハームリダクション)を優先させる対策も実行されている」とも指摘しました。
松本) ハームリダクション(「harm」=害、「reduction」=低減)とは、薬物問題に対する公衆衛生政策の考え方です。依存性の高い薬物やアルコール、たばこなどをやめることができないとき、その使用量を減らすのではなく、「害を減らすこと」を目指して実践する方法・政策です。
ただし、私はハームリダクションだけで薬物政策を行うことはナンセンスだと思っています。人々が薬物にアクセスする機会を減らす「サプライリダクション」と、薬物を欲しがる人を減らす「デマンドリダクション」を組み合わせて初めて機能すると考えています。
日本では、「取り締まり」に偏りがちで、実際に薬物を使ってしまった人の健康被害をどう減らすかという視点が弱い。例えば海外では、HIVやC型肝炎の感染を防ぐために感染症対策として清潔な注射器を配布するなど、使用者の健康を守る取り組みが行われていますが、日本では「薬物を認めるのか」と誤解されやすいです。
ハームリダクションは薬物を肯定するのではなく、被害を減らすための公衆衛生的アプローチであり、アルコールやたばこにも同じ考え方が必要です。しかし日本社会は、「ゼロか百か」で考えがちで、中間の議論が受け入れられにくいという構造的な特徴があります。
黒田) 政策目的を実際に達成するためには、現実の人間の行動を踏まえて複数の手段を組み合わせる必要があるということですね。
後編では、実際に薬物を使用している人への政策がどのような結果をもたらしているのか、さらに具体的に伺いたいと思います。(後編に続く)

聞き手 黒田岳士・一般社団法人グローバル政策研究機構 代表理事